東北地方太平洋沖地震
昨日、三陸沖を震源とするM8・8の「東北地方太平洋沖地震」が発生して一日が経ちましたがその多大なる被害の光景に何て表現をしてよいのか言葉が見つかりません。
壊滅した街の無残な姿にただ涙が出るだけです。
地震が発生した時、自分は会社に居ました。
今まで経験したことのない大きな横揺れに背筋がゾッとしました。
幸い自分を含め家族、会社の人間には怪我はありませんでしたが会社の駐車場の地面をはじめ建物のあちらこちらに亀裂が入っていました。
営業するには支障はないと思われますが、今度震度7級の地震が来たら確実に崩壊するのは間違いないでしょう。
自宅に帰るにも電車が走っていませんでしたので歩いて帰りました。会社から自宅までは約15kmほどですが2時間45分ほどかかりました。
自分のことは兎も角、行方の分からない方々が一人でも多く助かっていることを今はただ祈るばかりです。
いちごシフォンロールケーキ
マルイ国分寺店の中にある国分寺エル専門店街8FのCocktail-Do Coffee(コクテル堂コーヒー)で春の季節限定ケーキ「いちごシフォンロールケーキ」が今年も発売されています。
昨年の春に出会ったこのケーキは現在自分の中ではNo1ケーキです。
勿論、今年も早速頂いて来ましたよ。結構人気がありますのでお早めに!
ふわふわのシフォン生地でいちごがまるごとカスタードクリームと生クリームに包まれたロールケーキであります。
お値段は450円。飲み物がプラスのケーキセットは700円也。
大内宿
先日一泊二日で福島県にある大内宿に行って来ました。
朝一の新幹線で新白河へ行き、そこからレンタカーで行動。
国道294号線と国道118号線を経由し一寸遠回りしながらのドライブ。
長閑な田園風景は黄金色。
既に稲刈りが始まっていました。
大内宿に着くと生憎の雨。
平日にも拘わらず各地から観光客が大勢来てました。
休日はもっと大勢の観光客で賑わうのでしょう。
大内宿は江戸時代、関東と会津を結ぶ下野街道の交通の要衝だった宿場町で、会津藩の参勤交代にも使用されかなり重要視された宿場でした。現在も当時のままの雰囲気を残しており、今にも大名行列が通りそうな感じでした。
全長450mの往還に沿って寄木造の家や藁葺きの民家が軒を連ねていて、長野県の妻籠宿、奈良井宿と並んで国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
路傍を流れる用水路の水は冷たく綺麗でした。
約50軒ある民家の殆どではお土産を売っており、飲食も出来ます。自分はその中で分家「玉屋」で『鳥せいろう』を頂きました。
『鳥せいろう』は炭火で炊き上げたご飯の上に、甘辛いタレが染み込んだ地鶏もモモ肉と炒めた葱が乗っています。付け合わせの生姜味噌と一緒に頂くと格別な味になります。
デザートには、みなとや食堂の『とちもち(栃餅)』を頂きました。青豆を引いた黄緑色の黄粉が印象的です。
更に欲張り三澤屋では『高遠そば』通称『ねぎそば』を頂きました。
一本の葱を箸にして蕎麦を頂く『高遠そば』。葱を齧りながら頂きました。
三澤屋の他に大和屋と大黒屋でも『ねぎそば』を頂くことが出来ます。
その後は町並み展示館などを見学した後、喜多方へ。
僅かな滞在時間でしたが近くには蕎麦畑もありとても長閑でいい所でした。
大内宿は休日になると近くの国道が渋滞になるほど混むらしいので平日に行ったのは正解だったかも知れません。
また、機会があれば訪れたい所です。その際は是非大内宿の中にある宿で泊まりたいですね。
人間失格
亦しても田代まさしが逮捕された。
これで4度目の逮捕。
今回も薬物をめぐる逮捕で、先日、同じく薬物をめぐり6度目の逮捕となった清水健太郎容疑者に負けてないですね(笑)
やはり薬物の影響でしょうか?
田代まさしのあの変貌ぶりにはチョットびっくらこいたよ!
明日の17日には、新宿・ロフトプラスワンで
AVの帝王・加藤鷹、とスカトロの帝王・山本竜二との対談『マーシー&鷹&竜二のぶっちゃけトーク!』があるみたいだけど・・・
逮捕じゃ当然、田代まさしの出演はキャンセルだろうね。
それだけで済むならまだいいけど・・・
トークショー自体が中止になったらどうすんだろ?
恐らく損害賠償もんですな。
実際のところ田代は1回目の逮捕の時に、(田代が逮捕されたことにより) お蔵入りになった番組などがあって8,000万円の損害賠償請求をされている。その返済が未だに続いているらしいからさぁ大変です。
だけどさぁ
それにことある度に田代の尻拭いをして来た鈴木雅之さんはこの裏切りに如何思っているんでしょう。
更に言えば他にも少なからず田代の再起を願って応援してくれた人たちが居たと思うんですよ。
またそう云う人たちを裏切る行為するなんて・・・
まさに「人間失格」だ!
200歳
生存していれば、111歳とされていた男性の白骨遺体が東京都区内で発見された事件をきっかけに、全国で所在が確認出来なかった高齢者が数多く存在しているのは御存じの通り。
中には本当に行方が分からなくなっているケースもあれば、年金を受給し続けるために死亡の事実を隠しているケース等原因は様々。
更にこれらの事件を受けて一部の自治体では高齢者の戸籍放置とも受け取れる問題も出てきている。
兵庫県姫路市では江戸時代後期の天保11(1840)年に生まれで、存命していれば170歳になる男性の戸籍を筆頭に、山口県防府市では文政7(1824)年生まれの186歳になる男性の戸籍が。長崎県壱岐市では1810(文化7)年生まれの男性の戸籍が残っていることが明らかとなり、生存していれば今年な・ん・と200歳。
他にも北海道函館市や大阪府東大阪市や愛知県岡崎市など全国各地の自治体で、江戸時代後期生まれで生存していれば年齢が150歳以上になる方々の戸籍が残っているのが次々と明らかになっている。
原因として戦争の混乱などで家族が死亡届を出せなかったなど様々なことが、挙げられているようだけど全くもって怠慢だね。
特に三重県志摩市では江戸時代後期の弘化4(1847)年生まれの163歳の男性の戸籍が残っていることが分かっていたにも関わらず、親族らと連絡が取れない為、市は死亡を確認できず、そのまま放置していたというからまさに怠慢の極致だね。
「市は親族らと連絡が取れないって言うけど・・・・」。
どう見ても下手な言い訳な感じが致します。
普通、163歳だったらその親族の年齢を考えますよね?
普通に考えたら・・・・
殆どの方は既に100歳を超えているでしょうね。果たしてその中でどの位の方が御生存なのか?
普通に考えたら殆どの方がお亡くなりになっていると考えると思うんですが・・・・
そう考えたら確認しようにも確認出来ないのは当たり前なような気がするんですけどね〜
今のところ長崎県壱岐市での200歳が最高齢のようだけどまだまだこれを上回る年齢の戸籍が残っているかも知れませんね。それにしても。