蘇我入鹿

奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡で645(大化1)年の大化の改新で暗殺された飛鳥時代の大豪族、蘇我入鹿の邸宅「谷(はざま)の宮門(みかど)」と思われる可能性が高い柱建物跡が出土されたと新聞に掲載されていた。如何やら発見された建物が甘樫丘に入り込んだ谷を大規模に構成されていたことや、焼けた壁画などが見つかったことが「日本書紀」の記述と一致したのがことの発端また。けど、未だ、主要な建物が発見されていないので断定は出来ないという意見も出ているとか。然し考古学者や歴史研究者などにはホント堪らない発見では、なかったのではないでしょうかね。日本史好きな自分も何かわくわくしますね。
蘇我入鹿は、父・蝦夷から大臣の位を引継ぎ、国政を掌握した飛鳥時代の有力豪族。聖徳大使の息子・山背大兄王らを自殺に追い込むなどの専領ぶりが反発を買い、645(大化1)年、中大兄皇子中臣鎌足らに暗殺された。翌年、蝦夷も自害。乙巳(いっし)の変とも呼ばれ、翌年に発せられた「改新の詔」など一連の政治改革を含めて「大化の改新」と総称する。
甘樫丘東麓遺跡は、蘇我入鹿の暗殺の舞台となった飛鳥京の北西約600mの地点にあり、蘇我氏が建立した飛鳥寺からは南西に約600mの位置にあたる。更に近くには、蘇我入鹿が暗殺された飛鳥板蓋宮(あすかいたいたぶきのみや)をはじめとする歴代天皇の宮殿が作られた飛鳥京があり、蘇我入鹿の墓だといわれている石舞台古墳も近い。
中学、高校時代に修学旅行でも行ったことがありますが、のどかな田園風景が思い出され、激動の古代史の一端が甦って来る所です。今後の研究に期待したいですね。