A級戦犯合祀

昭和天皇が1988(昭和63)年、靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への不快感と合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけたとする故富田朝彦・元宮内庁長官が書き残したメモがあることが関係者の話で分かった。昭和天皇は1978(昭和53)年にA級戦犯が合祀されて以降、同神社に参拝していない。
靖国発言のメモは1988年4月28日付。メモによると、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。
メモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠せない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのだろか。
「松岡」「白取」はA級戦犯として祀られている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。