生誕100年目

2006〜07年は、『くりこみ理論』で1965(昭和40)年にノーベル物理学賞を受賞した故朝永振一郎博士。『中間理論』で1949(昭和24)年に日本人初のノーベル賞=ノーベル物理学賞を受賞した故湯川秀樹博士の生誕100年目にあたる。
日本の物理学を牽引し、2人の独創的な業績と人柄を称え3月下旬から5月上旬まで企画展『素粒子の世界を拓く−湯川秀樹朝永振一郎生誕100年−』が国立科学博物館(東京・上野公園)で開かれる予定。その後は、5月から筑波大学、10月からは両博士の母校・京都大学に巡回する予定。
↓2006.01.03讀賣新聞より

物理学には全く興味はありませんが(笑)今では数多くの日本人がノーベル賞を受賞されておりますが、(ノーベル賞で)パイオニア的な存在であることは勿論のこと日本の物理学を世界標準に高めた巨人という点でも歴史好きな自分にとって非常に興味のある人物です。
時間が有れば是非、国立科学博物館に足を運んでみたいと思う。

↑2006.01.03讀賣新聞より
朝永振一郎】1906(明治39)年3月31日生−1979(昭和54)7月8日没。物理学者。
1906(明治39)年東京で生まれる。1929(昭和4)年京都帝国大学理学部を卒業。仁科芳雄の誘いを受け理化学研究所仁科研究室の研究員に着任。1937(昭和12)年ドイツのライプチヒに留学しヴェルナー・ハイゼンベルクの教えを受ける。1941(昭和16)年に東京文理科大学(現筑波大学)教授に就任。1943(昭和18)年に超多時間理論を完成。1947(昭和22)年「くりこみ理論」を発表。その後、東京教育大学学長、日本学術会議議長、光学研究所長等を歴任。1965(昭和40)年くりこみ理論の手法を発明して量子電気力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞受賞。1976(昭和51)年勲一等旭日大綬章受章。1979(昭和54)年咽頭癌のため死去。
湯川秀樹】1907(明治40)年1月23日生−1981(昭和56)9月8日没。物理学者。
1907(明治40)年東京で生まれる。1929(昭和4)年京都帝国大学理学部を卒業後、京都帝国大学講師、1930(昭和5)年大阪帝国大学講師となり仁科芳雄の指導を受ける。1935(昭和10)年「中間子理論」を発表。1939(昭和14)年京都帝国大学教授就任。史上最年少で文化勲賞を受賞(36歳時)。1947(昭和22)年ポーエルによって宇宙線中にパイ中間子が発見され、中間子論が実証されたことにより1949(昭和24)年日本最初のノーベル物理学賞を受賞。プリンストン高等学術研究所、コロンビア大学客員教授京都大学基礎物理学理学研究所初代所長を歴任。1955(昭和30)年,ラッセル=アインシュタイン宣言の共同署名者となり、パグウォッシュ会議への参加、科学者京都会議の主宰、世界連邦世界協会の会長など社会的にも幅広く活動。1981(昭和56)年死去。