王様

25日付のサンスポに面白い記事が出ていた。読んで見るとなるほどと納得出来る内容だったので一寸紹介しますね。
清原和博中村紀洋両選手の入団で『計り知れない相乗効果』が期待されるオリックスバッファローズだが、両選手の獲得が吉と出るか凶と出るかと問われれば、凶と出るだろうと記事を書いた記者は予測している。理由は、2人共『王様』だからだそうで、清原選手は西武、巨人で、中村選手は近鉄で言わずと知れた王様だったからとのこと。王様はスターで頼りになる一方で自己中心的で、組織の和を乱すこともしばしばあり、王様でいる間は多少の我が儘も許されたし、プレッシャーなどの重圧を撥ね退け、チームも救ってきた。然しどの世界でも王様は1人しか存在しないと。
王様はその存在から子分が出来る。私生活など共にすることで学ぶこともあるだけに、徒党を組むことを一概に批判は出来ないが、大きな派閥が2つ出来ればチームは分解する可能性がありチームは機能しなくなると警告している。
中村選手は兎も角、巨人時代、番長と言われた清原選手を中村勝広監督が如何コントロールするかに依り来シーズンのオリックスバッファローズの運命が決まってしまうことだろう。既に客寄せパンダ的な所もチラホラと出てきている清原選手。
ボロボロになるまで(野球を)やると言っている清原選手だが多少なりのプライドを捨てて(野球を)やらなければ・・・後がないでしょう。王様は周りから認められなくなったら横綱と同じで去るしかないのだから。

清原和博】1967(昭和42)年8月18日生。大阪府岸和田市出身。プロ野球選手。
PL学園高校時代巨人・桑田投手とK・Kコンビで1年夏から甲子園に5季連続出場。
在学中に夏:優勝2回、準優勝1回。春: 準優勝1回。
◎西武時代の1986年から1988年までと1990年から1994年までに8度のリーグ優勝。
6度の日本一(1986年〜1988年、1990年〜1992年)に貢献。
◎1986年、1988年は優秀選手に、1993年、1994年は敢闘賞に選ばれる。
・1985(昭和60)年、PL学園からドラフト1位で西武ライオンズに入団。
・1986(昭和61)年、ルーキーながら31本のホームランを放って新人本塁打記録の
最多タイを記録、新人王を獲得。
・1996(平成8)年、FA宣言をして念願の讀賣ジャイアンツに移籍。
・2004(平成16)年、史上31人目の2000本安打を達成。
・2005(平成17)年 広島東洋カープ戦でホームランを打ち通算500号を達成。
史上8人目の快挙。オリックスバファローズに移籍。
<通算成績・2005年シーズン終了時>
•試合 2153(歴代13位)
•打率 .273
•安打 2073
本塁打 514(歴代5位)
•打点 1491
•盗塁 59
•犠打 5
犠飛 65
•四球 1307
死球 195(歴代1位)
•三振 1861(歴代1位)