旧日立航空機株式会社立川工場変電所

旧日立航空機株式会社立川工場変電所

正面【南側壁面】

裏側【北側壁面】
この建物は1938(昭和13)年に建設された航空機のエンジンを製造していた軍需工場、東京瓦斯電気工業株式会社(翌年、日立航空機株式会社立川工場(立川発動機製作所)に改名)の変電所で、現在、西武拝島線玉川上水駅から5分ほど歩いた東京都立東大和南公園内に保存されている戦災建造物です。元々、東京都立東大和南公園は日立航空機株式会社立川工場があったところです。

変電所は敷地内の北側にあった設備で受電した66,000ボルトの電気を、3,300ボルトに変電して工場内に供給する重要な役目を果たしていました。
外壁に残る無数の穴は太平洋戦争の時、アメリカの小型戦闘機による機銃掃射やB-29爆撃機の爆弾が炸裂して出来たもので、工場地域への攻撃は全部で3回あり、最初は1945(昭和20)年2月17日、グラマンF6F戦闘機など50機編隊による銃・爆撃。2回目は4月19日、P-51ムスタング戦闘機数機によるもの。3回目は4月24日、B-29の101機編隊による爆弾の投下で、あわせて110余名に及ぶ死者を出し、更に多くの負傷者を出しました。
この変電所は経営会社が変わった戦後も殆ど修理の手を加えぬまま、1993(平成5)年12月まで工場に電気を送り続けていたそうです。
一旦は取り壊される運命にあったようですが貴重な戦災建造物を保存し次代に伝えたいと云うことから保存されることになり、東大和市は1995(平成7)年10月1日にこの建物を東大和市文化財(史跡)として指定し、末永く保存、公開するために修復工事を施し現在に至っています。




被爆痕】