高松塚古墳

奈良県明日香村の特別史跡高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)で、文化庁担当者らが黴の除去作業中に機材を接触、転倒させ、男子群像を傷つけたことが分かり、学者や地元関係者からは驚きと怒りの声が相次いでいる。文化庁は12日、「損傷事故に関する調査会」(仮称)の設置を決め、報告書を纏めると発表したが、同庁の隠蔽体質が大きく批判されるのは必至だ。
更に文化庁が2001(平成13)年2月に墳丘内の石室入り口の崩落防止工事を行った際、工事関係者が、滅菌した防護服を着用せずに作業していたことも分かったという。その直後に、石室の外側で黴が大量発生したというのだ。
同庁が設けた同古墳石室内の保存修理マニュアルに因ると、古墳内の定期点検や壁画保存などの際には、カメラや室内灯など搬入機材をアルコールで滅菌し、作業者は防護服を着るように定めていた。然し、この工事の際は、用具や土を頻繁に運ぶ為、作業服のまま出入りしたとしている。
文化庁は「2001年の工事後の黴発生は、温度上昇や石室内への虫の進入など複数の要因があると報告しており、防護服を着用しなかったことだけが原因とは考えていない」と話している。確かに防護服を着用しなかったことだけが黴を発生させた原因ではないだろが、明らかにより以上に黴を発生させたことには間違え有るまい。この記事を見る限り文化庁は国宝を守る気は全然ないと感じるね。国の宝でっせ。
高松塚古墳は1972(昭和47)年3月、発掘調査をしていた網干善教・関西大学名誉教授(当時助教授)等の研究グループが発見した。国内の考古学ブームの先駆けとなり、極彩色壁画はその後、国宝に指定された。
発掘調査以降、壁画は現状のまま現地保存することになり、文化庁が石室内の温度や湿度の調整、防カビ処理などの保存管理、そして1981(昭和55)年以降、年1回の定期点検を行ってきたが、2002(平成14)年から2003(平成15)年にかけて撮影された写真から雨水の浸入や黴の発生などにより壁画の退色・変色が顕著になっていることが2004(平成16)年に明らかになった。
この結果を受けて壁画の劣化防止策や保存方法について様々な検討が続けたと同時に特別史跡(古墳)と国宝(壁画)のいずれを守るのか議論が行われたが、残念ながら2005(平成17)年6月に文化庁は現況保存を断念し石室の解体補修を決定した。一部には、キトラ古墳同様に壁画を剥ぎ取って古墳外で保存すべきだという意見もあるが、計画では修復後に現地に戻すことになっているという。

高松塚古墳石室「男子群像」の一部。衣服の胸の緑色の彩色が約1センチ四方、はく落している(円の中の部分)