脱線転覆事故

今年4月にJR福知山線で起きた電車転覆事故に続き、残念ながら、又しても鉄道事故に因る大惨事が起きてしまった。
25日午後7時15分ごろ、山形県庄内町のJR羽越本線砂越(さごし)−北余目(きたあまるめ)間の最上川に架かる「第2最上川橋梁(きょうりょう)」付近で、秋田発新潟行き特急「いなほ14号」6両編成の前方から5両が脱線、うち3両が転覆した。この事故により26日朝まで乗客4人が死亡。乗客乗員合わせて33人が負傷して病院に搬送された。
横倒しになり、潰れた車体。突き刺すような寒さの下、視界を遮る地吹雪が容赦なく吹き付け、突き刺すような寒さの中、徹夜の救出作業は困難を極めた。線路脇にある堆肥小屋の高さ約3メートルの鉄筋をなぎ倒しコンクリート壁に激突した特急列車は、台車が剥ぎ取られ原型を留めない程に押し潰された。

JR東日本新潟支社などに由ると、列車は1〜4号車が指定席で、5、6号車が自由席。指定券を購入した乗客だけで約30人が乗っていたという。自由席の乗客数は不明。現場は第2最上川橋梁から約270メートル南の地点で、6両編成のうち先頭の6号車から2号車まで5両が脱線。うち6〜4号車が転覆、土手から数メートル下に転落して車両同士が折り重なった状態になった。JR酒田駅に由ると、同列車はポイント故障のため、同駅を1時間8分遅れて発車。県警の調べに運転士は「突風で車体が左側に浮き、そのまま脱線、転落した」と説明しているという。
脱線の有力な原因としては、現場での突風が考えられているが、現在調査中とのことではっきりした原因は分かっていない。

この事故で思い出されるのはやはりこの時期に起きた「餘部鉄橋事故」だろう。今から19年前の1986(昭和61)年12月28日。午後1時24分頃、JR山陰本線(事故当時国鉄だった)の鎧〜餘部間に架かる高さ41m、全長309mの巨大な鉄橋「餘部鉄橋」上を回送中だったお座敷列車「みやび」(14系)が突風に煽られて7両編成の客車が牽引機のディーゼル機関車1両を取り残して鉄橋から脱線転落し真下にあったカニ缶詰加工工場、ドライブイン等に直撃。この事故で車掌1人と、直撃を受けたカニ缶詰加工工場の職員5人の計6人が死亡。他6人が負傷した。この時は列車運行を規制するための風速計の設置が不十分であったことや、地形的な理由などから、列車運行に支障を及ぼす強風を予測しきれずに列車を運行してしまったことが原因と見られている。亦、昭和43年度から行なわれた改修工事によって橋梁の縦材と横材の剛比が変化しフラッター現象を起こしやすくなっており、当日も強風で励起されたフラッターによって軸重の重いDL通過時に蛇行動が発生し、これに因って大きな軌道狂いが生じ、客車が脱線、転落したという説もあるが、国鉄側の過失があったと判断された。14系和式客車「みやび」は、この年の4月に登場、僅か8ヶ月と言う短い期間で全車廃車。

尚、事故後、国鉄は運行規制基準を見直し、20キロメートル以上の風が吹くと列車の運行を停止するようになった。余部鉄橋については老朽化や、この事故で厳しくなった運行基準のために列車の運休や遅れが続出していることから架け替えが予定されている。
この事故を教訓に、強風下での運転規制区間を全国的に拡大され、今回、事故の起きた羽越本線も、冬場は強風が吹き荒れる為、規制の対象路線だった。突風はある程度予測はついたのだろうが、何時起こるは予想がつかない。幾ら規制の対象路線にしても防ぎようがなかったのではないかと思う。判断が難しいよね。